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『納棺夫日記 増補改訂版』のご紹介

『おくりびと』という映画をご覧になったことがありますか? 2009年に第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞したこの作品は、青木新門著『納棺夫日記』を読んで感銘を受けた俳優の本木雅弘が映画化を希望したことがきっかけとなり制作されました。

納棺夫とは、遺体の湯灌(洗い清め)から納棺までを専門に行う職人のことです。親族の葬儀に立ち会ったことのある方ならご存じかもしれません。

ちなみに女性もおりますので、正確には「納棺師」と呼ぶようです。ひょんなことから冠婚葬祭互助会の社員となった著者が、いかに人の死を見つめ、人の死を受け止めてきたかが本書には書かれています。

>> 納棺夫日記 増補改訂版

はじめに、死や死体を忌み嫌う社会では、それを扱う納棺夫や火葬夫は蔑まれ差別される、と著者は語ります。納棺夫になったと知った叔父からは「一族の恥」「仕事を辞めないなら絶交する」と言われ、納棺の仕事から帰宅し妻に触れようとしたときには「穢らわしい」と拒否されたといいますから、周囲の人の忌避意識がかなりのものであったことがわかります。

しかし、たしかに火葬場や墓地の建設計画が発表されると周辺住民による反対運動が起こりますし、葬儀の後はお清めの塩を撒きます。これは死体や死を穢れととらえているからにほかなりません。

人々に忌避されながらも、事故で散乱した遺体や発見が遅く腐乱した遺体にも敬意を払って納棺を行い、遺体に湧いた蛆虫に生の輝きを見る著者の姿勢は、死をタブー視する社会のいびつさを浮き彫りにします。「死を忌むべき悪としてとらえ、生に絶対の価値を置く今日の不幸は、誰もが死ぬという事実の前で、絶望的な矛盾に直面することである」という著者の言葉が胸に迫ります。

第二章では様々な死のイメージについて考察がなされるのですが、生前に本人が献体を希望していたのに家族が遺体を切り刻まれるのは嫌だとそれを拒否したという話や、土葬を禁止し今後は火葬にするとお触れを出した中国で「火葬では天国に行けなくなる」と15日間に67人の自殺者が出たという話を読むと、人間の精神の複雑さについて考えさせられます。死にゆく者より、生きている者の中にある死のイメージのほうが恐怖に満ちており、安らかな境地とは程遠いのかもしれません。

宮沢賢治に親近感を抱く著者の死生観は親鸞などの仏教の教えに根を持ちますが、第三章での彼らの作品や教えの紹介も本書の鍵となっています。こういう考え方をすれば心の平安が得られる、と説くのではなく、「宗教がどれくらい科学の立証に耐えるかによって、今後の宗教が歴史に残るかどうか決まるかもしれない」という見地で宗教の死生観を紐解いているところに著者の倫理観を見ることもできるでしょう。

『納棺夫日記』が売れたことによる違和感や戸惑いも『納棺夫日記 増補改訂版』には書かれていますが、周囲の評価がどうあろうと、死や死体や死者と真摯に向き合う著者の姿勢は一貫として変わることがありません。

他人の死をここまで自分事として考えられる人が記した本を読むことは、いつか絶対に死ぬ私たちにとって大いなる慰めとなりますし、これからいかに「死」と付き合っていくかを考える道標にもなるかと思います。

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